天下の険を走る 『市振~親不知ランニング』

ランニングに関する童心
09 /07 2014
 さて、今日は天気にも恵まれたため、午前中をサイクリングにあてて、数10キロの道のりを走ってきたところですが、午後になったらまだなんだか物足りなさを感じます。
 身体がもっと使いこめと訴えてきているような感じです(笑)

 そのため、以前から一度足のみで走ってみたいと思っていた、新潟県の最果ての集落である『市振』から、天下の険とも呼ばれる難所、『親不知』区間をランニングしてみることにしました。

 ちょっと偵察しておきたい所もありましたしね。まあ、ちょうどいいタイミングです。



 そんな今回のルート、富山県を車で越えてすぐ、新潟県の端にある『越後市振の関』から、日本の道100選にも連ねられる『親不知コミュニティロード』を越えて、親不知駅から電車で再び市振に帰ると言った、およそ10キロ強の道のりです。

 かつて自転車で、新潟まで走った際にも少し紹介しましたが、今回は改めてランニングと言う手段により、じっくりとその道のりを堪能して来ようと思います。

 それではスタートです。


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【14時30分】
 富山から県境を越え、思った以上に遠かった、『越後市振の関』からランニングをスタートします。

 小さく、静かな道の駅ですが、複数の車が停まっておりこの先の難所の手前での一休みをしているのでしょうか?


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 まずは8号線を走ります。

 海のすぐ側に山の迫った、何とも圧迫感のある光景です。


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 途中、市振駅を越えて、集落の中へと入って行きます。

 唸りを上げて車が走ってくる8号沿いに走るよりも、人の息吹の感じる場所の方がはるかに気が楽ですね。

 この新潟県最果ての集落『市振』ですが、わずかな通りの中にいくつもの史跡が残っており、やはり交通の難所であるがゆえ、要所として発展し、今日に至るまで集落が続いていったのでしょうね。

 しかし、現代においては、富山県のコミュニティバスが走っていたりとやはり実生活圏は富山側にあるようですね。
 いちいち親不知までこの道のりを越えては生活できないでしょうからね・・・

 小学校はこの集落にありましたが、中学もやっぱり越境しているのかな?
 どちらにせよ大変そうです。


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 軽く通りを走れば歴史的な場所が多々現れます。

 ここは明治11年
 明治天皇が北陸巡幸の際に小休止された場所であるそうな。
 
 
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 そして、奥の細道の松尾芭蕉が宿泊した旅館の跡地がここであるとのこと。


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 そして、弘法大師が湧かせた井戸とのこと。

 私の地方にも弘法様が水を沸かせた伝承が残っています。

 弘法様は至る所で水を沸かせていたのですね。。。
 当時は水は貴重な物だったことでしょうからね、何だか伝承と言う物も色々考えさせられるな。


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 市振りを抜け、いよいよ狭いトンネル区間の続く道程へと入ります。

 断崖に沿って、洞門が連なっていますね。


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 まずは登り。
 中はやはり狭く、ブラインドコーナーも数多く存在しており、その上大型車両が容赦なくガンガン走ってきます。

 徒歩ですので、車が来た際は端っこに寄ってやり過ごして、車の団体が通過したのちに再びダッシュする。
 を繰り返していきます。
 
 車を信用してランニングを続けて轢かれでもしたらバカですからね。間違いなく私が悪い。

 運転手もこんなところをフラフラとランニングされたらさぞ迷惑でしょうから、最大限邪魔にならないように進みます。


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 浄土トンネル。
 まだ行ってたまるか(笑)

 というのは冗談で、かつて荒波の打ち寄せる海岸沿いの岩場の道であった『天険』を越えて、ここまでくれば極楽浄土の様だったということのようですね。

 先人たちが着ける地名と言うものには、適当な物も多かったでしょうがやはり何かしらの意味があったのでしょうね。 


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 幾つかの危険トンネルを走り抜けて、『天険トンネル』へ。

 最も危険とされる区間が、唯一迂回路を要する最も安心できる道のりであると言うのが皮肉なものですね。
 ここからは、日本の道100選にも選ばれた、親不知コミュニティロードを進みます。


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 緑に飲まれそうな道のりから始まります。

 そういえば、道100選と言えば、以前走った大阪の『暗峠』も随分と過酷な道のりだったな・・・


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 しばらく進めば道は綺麗に整備された姿へ変わって行きます。
 
 ここにはかつて、この道のりを切り開いた富岳磯兵氏のその喜びが岩に刻まれているとのことです。


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 如研如矢(とのごとくやのごとし)
 砥石のようになめらかで、矢のように真っ直ぐである。

 険しい断崖が、切り開かれた様を詠んだのでしょうか?現代のように重機も無い時代、想像を絶する苦労があったことでしょうね。


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 北アルプスの父、ウォルター・ウェストンの像

 これがあることを知らないで、夜中に見たらギョッとしちゃうでしょうね・・・


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 親不知の全景のミニチュアも展示時てあったりと、中々にしっかり作られています。
 

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 う~んこの先も険しそうです。

 ですが、この後は基本下りが続きますので時間はかからないことでしょう。


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 親不知コミュニティロードを抜ければ、突如大きな親不知観光ホテルが現れます。


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 かつての建設省が設置したと思われる、日本の道100選の碑。


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 そして天険コミュニティ広場の無料駐車場。
 
 結構大きくてトイレもあり、綺麗に作られています。

 何だか先ほどからの親不知観光ホテルと言い、碑と言い、この狭い空間からは想像つかないほどの立派な施設ですね。


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 そして、国道8号線の先には【栂海新道】の入り口が。

 日本海からはるか北アルプスをつなぐ道のりの始まりか・・・
 ここから朝日岳まで27キロ・・・山小屋泊り前提の軽装ならばともかく、テント泊前提の装備で一日で辿り着くのはやはりきついかな。

 入り口の看板の傍には、ステンレス製で、アクリルの箱に覆われた立派な登山届を提出する箱もあり、ここが登山の聖地であることが判ります。

 この道を切り開き、3月に急逝されたのが旧青海町に住んでおられた小野健氏。
 昭和から平成の登山界の伝説の人物・・・となってしまわれました。

 こんなに近くにおられたのなら、一度はお会いしてみたかったな。


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 ちょっと偵察。
 
 
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 この小さな橋にも手作りの看板が(笑)
 『大洋橋』とあります。

 きっと楽しんで整備しておられたんでしょうね。


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 そしてすぐに急登へ。

 あの道の先が遥か北アルプスへと繋がっているのか・・・
 凄いなぁ・・・


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 そして、次は天険コミュニティ広場の無料駐車場から、標高差80メートルの栂海新道の起点である海岸線を確認しに行きます。


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 綺麗に整備された階段の道が続きます。

 とても個人で整備した様な造りではありませんから、ここはもとは何か別の名が付いた観光スポットだったのかもしれませんね。


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 途中見事なれんが造りのトンネルが現れます。

 親不知隧道と言うかつてのメインルートの様です。


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 階段を下り切って、標高0メートルの海岸線へと降り立ちます。

 海岸と言うよりは左右を切りたった岩場に囲まれた、『待避所』と言うような場所です。
 
 ですが、この閉鎖された空間の雰囲気が、栂海新道のスタートとして、雰囲気が良くマッチしていますね。


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 左右はどちらもこのように切りたった崖っぷち。
 
 しかし、昔の人はあの岩場を通って行き来していたというのかい?
 そして、この様なわずかな待避所に入っては一息ついていたということなのでしょうか。

 私でもあの岩を越えて、親不知まで行けと言われれば尻込みしてしまいます。
 信じられないほど苛酷な話ですね。


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 天険コミュニティ広場に帰れば、丁度栂海新道から下山してこられた登山者たちが現れました。

 いいなぁ~楽しかったんだろうなぁ・・・

 さて、だんだん日も暮れてきたし、私も先を急がなければ。


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 再び狭い洞門区間を車が来たら避けるを繰り返して先へと進むことにします。

 しかし、ここからは下り基調となるため、ダッシュをかけるのも楽になります。


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 途中、天険の断崖を一望できる展望台があります。


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 逆光でよく見えないですね。

 切りたった岩場がはるか先まで続いているのが判ります。

 しかし、厳しい道程であり危険な道のりであるのは確かなのですが、もう少し整備してサイクリストや歩行者にも安心して通過できるような道程には出来ないものでしょうか・・・

 そうすればきっと気持のよいサイクリングロードが出来上がるでしょうに。


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 その後、危険な洞門区間を走り抜け、ようやく安全地帯へ辿り着きます。

 よかった~。
 トンネルの中は、音がものすごく反響して、車が後ろから来てるのか前から来ているのかわからないような状況が多々ありますので、トンネルが無いだけでも随分と走り易くなります。

 なお、栂海新道へたどり着くには、天険コミュニティ広場に車を置いて行くか、親不知、市振のどちらかの駅から移動するしかありませんが、駅から徒歩で行くなら私は間違いなく【市振】からの方が楽だと思いますね。

 数100メートルほど距離は長くなるでしょうが、勾配を考えると遥かに歩きやすいと思いました。


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【16時10分】
 親不知ピアパークに到着。

 北陸自動車道の高架下沿いに細長く広がる、ちょっと変わった道の駅です。
 それなりに車は停まっているのですが、何と無く人気のない静かなところですね。


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 夕暮れが近づく親不知海水浴場。

 静けさが静けさが漂う光景に、足を止めてゆっくりと眺めたくなりますが、電車まで時間がないので、速やかに先を急ぐこととします。


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 そして8号線へ。
 親不知に入ってからの8号線は歩道もあり実に進みやすくなります。


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 ようやく見えた親不知駅。

 しかし、直ぐ傍に見えているんだけれども、遠い~

 どうやら親不知ピアパークに入る手前で8号から分岐して親不知市街に入らないと、大回りさせられるようです。

 
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【16時25分】
 無事親不知駅に到着し、今日の目標であった10キロちょっとの『市振~親不知』間のランニングを達成することが出来ました。

 ここから先は、JRで市振駅まで乗せてもらうだけです。


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 ホームで電車の到着を待っていたら、新潟方面へ特急『はくたか』がものすごい勢いで走り去っていきました。
 
 在来線最速とも言われるはくたかが、この狭いホームを擦れ擦れに突き抜けていくなんて・・・
 よくよく考えれば凄すぎる光景です。

 ホームでカメラを構えて待っていたら、大砲が通って行ったのかと思うような衝撃波でした。

 しかし、この光景も来年春北陸新幹線が開通すれば見ることは出来なくなるかと思うと少しさびしいですね。


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【16時45分】
 市振駅に到着です。

 ランニングでは何だかんだで2時間近くかかった道程も、電車に乗ればホンの10分もかかりません。

 しかし、この市振駅も、親不知駅も、白い板張りの壁に瓦ぶきと、造りが非常によく似ていますね。


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【17時】
 日も暮れかけた頃、再び『越後市振の関』にたどり着きました。
 駐車場にはトラックの数が増え、また登山帰りと思われる人々の姿も有り、静かな中にも賑やかさがあります。

 しかし、ああ~道程の長さ以上に疲れた。

 そして、それ以上に充実した道のりでした。

 源平時代以前よりその危険が伝えられ、21世紀の現代ですら、今なお過酷で危険と言われるこの道のり。
  
 今回、自らの足のみで進んだ10キロ少々の短い空間の中には、多くの人々の苦労の歴史が凝縮されていたような、そんな思いさえします。

 そして、その最も危険な道程の、中間地点『天険』から遥か北アルプスへと貫く登山道『栂海新道』の存在。

 この親不知から繋がる道のりは、全てがドラマチックで冒険者のロマンを掻き立てますね。
 

 それでは今回はこのへんで
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コメント

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お疲れ様でした。

こんな冒険譚を拝読しているとワクワクしてきて自転車では入り込めない新たな『道』の開拓を初めてみたくなります。

気持ちはなるのですが、身体が走りを拒絶するのです。
でもランニング、トレラン、山の記事を読ませて頂くと気持ちが高揚してくるのです。

Re: タイトルなし

MMR様
ありがとうございます。
 ランニングも同じ道ばかり走っていると流石に飽きてしまい、ちょっと刺激を求めて遠出しました。
 距離は稼げませんが、道具を通さずに伝わる世界もまた良いものです。

 まあ内容の通り、栂海新道の偵察もかねてだったのですけれどね。
 どうやら悪天候続きの今年も、今週末は安定しそうですので、また少し冒険の旅にチャレンジして来ようと思っています。
 ルートの検討に気もちが行ってしまって、仕事も手につきません(笑)

OKI

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